自分って駄目だな…今まで何をやってきたんだろう。なんでこうなんだろう。とか、自分を貶めるようなことを言うのは簡単です。それこそ、死にたいと思うようなことも多いでしょう。わたしもしょっちゅう思っている。面倒だ、死にたい。もうやめたい、消えたい、と。
でも、最近は、そんな自分と日々戦うことを考えている。いつも、ダークサイドに引っ張られそうになる自分がいます。だめなほうに、希望がないほうに、引っ張られるのです。ダークサイドは、常に横にある。そしていとも簡単にそこに足を突っ込まれそうになるのです。それは甘くて暗い沼のようなものではないだろうか。簡単に、誘惑に、引っ張られて。甘い香りで、簡単な思考をくれる。SNSみたいなものです。そこに行くのは簡単なのです。ダークサイドに行くのは、いとも簡単なのです。容易で、イージーで、楽な方法なんです。
それは、大変に動物的というか本能的というか?うまく言えませんが、ダークサイドへ行くのは、誰でも行けるのです。ほおっておいたら、わたしはダークサイドに行くことになるのかもしれないのです。
引っ張ってくる、おいでおいでと誘ってくるのがダークサイド。でも、そこに行かないように戦わなければならないと、最近は思うようになりました。
マイルドに死にたい自分、やめたい自分、がいます。それはわかっています。でも、それと戦う。
うまく言えません、戦い続けていたら疲れるし。ダークサイドとは弱い自分ということか?弱い自分と戦うこと、あらがうこと、ダークサイドに行かないように、踏ん張ること。そのために光のある方向を向き続けること。せめてもの境界線で踏ん張ること。
朝起きて、あーとか思います。それでも、自分の中にある光に目を当てる。よいところを探す。それって、自然にできることではないのです。今までは自然にできていたのかもしれません。でも、しっかりと目を開けて、自分の中にある光の部分にフォーカスしていく。そんなことが必要になってくるのかもしれない。
それって、意識しないといけないのかも。そんな風に思うのです。
だから、「感謝日記」とか「良いこと日記」というのを付けて、少しでもの光を見つけていくこと、していこう。
そうなんですよね、今までは自然体でよかったのかもしれない。でも、頑張って意識して、良いところを見つけていかなければならないのかも、そんな風に思いました。
死にたいと思う自分、もうどうでもいいやと思う、自分と戦うこと。なんだか、キリスト教の絵みたいか・・・?
死にたいと思う自分に対して、必死で戦う。そのために日々を彩り自分を喜ばせる。そんなところでしょうか。
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