また、以前考えていたのと同じようなことを考えます。
私の人生は、詰まるところ、自分の思ったとおりになっているということを。
結婚したいと10年くらい前は強く願っていたな。毎週末に神宮外苑行ったり東京大神宮行ったりしてたわ、そういえば!
子どもを持つことも、今ではリアルに想像できる。想定外だったけど、長期スパンで見たら想定外ではないのかも、しれない。
海外異動を断った時に、私はこの海外勤務を断るという選択肢を、絶対に正解にしなければいけないと強く思ったものでした。そして、対抗馬になるその一つは、結婚してあっという間に子どもを作ることだとか、切羽詰まったときの突飛なぶっ飛んだ考えで、考えていたことも事実です。
その後、そんなにうまくは行かないなと思ったけれども。もちろん。
今に至る、そしてこれからの道のりのなかで、いろいろと野心や欲望や虚栄心が雑念として出てきて、人を惑わしているものなのかもしれない。
キャリアの途中であれば、海外出張行ってみたかったなとか、海外勤務してみたかったなとか。大学院行きたいとか学歴が欲しいとか、公務員の仕事をしてみたかったとか、もっと自分の強みを磨くべきだったとか。
思うことはいろいろあるし、それはこれからも消えることはないのだろうし、きっとわたしを悩ませる。それを念頭に置きつつ、でも、大きな流れのなかでは10年前、さらには20年前に、自分がこんなにも経験する以前の自分は、こんなふうになっていたかったな、というのは、大きな流れのなかで実現しているのではないか?と。
思った通りの、人生になっている。
都会で働く、貯金がある、パートナーがいる、心穏やかである、そして健康である…アトピーがないとか。
これは、一般的なことなのか?つまり、私が思い描いていた生活というのが、世の中にただマッチしていて、ある種の普通なもので、普通にしていればそうなるような類の、一般的なものだったか。ふつうの、誰もが思い描いて実現するような、ものだからそうなったのか?
私は違うように考えます。
やはり、どんなに時間がかかっても、そうなりたいと思ったからそうなっているのではないかな、と思うのです。
この流れになったのだって、私が中国旅行に行ったことがある意味きっかけだし、実家との心理的距離が少し近づいたことも、ものすごくある。なんだか、やってきたことの充足感があるのです。
目の前でやることと、長期で大きな流れで向かっていくこと。大きな流れのなかではわたしは守られているのではないか、という気持ちにもなるのです。それって、今すごく幸せだということなのかもしれない、と。ふと、思うわけです。
今の自分の状況がHappyか、というのはすぐにYes!と言える気持ちではないのだけど。不安もあるしやらなきゃいけないことも多くて。少し前は、お先真っ暗な気持ちにもなりました。きっとそれは、ホルモンのせい。(わたしたちは、常にホルモンと生きている…)
だから、今はまだ、そんな気持ちになれなくても、夢見る夢子ちゃんだったとしても、思うって大切にすることなんじゃないかな、と思います。
ビジネスで成功してみたいとか、本を出版してみたいとか、資産一億円ほしいとか、マンション購入したいとか、海外出張したいとか、修士が欲しいとか、中国語が話せるようになるとか、ヨーロッパに行きたいとか。イタリアやスイス、行ってみたいなあ。
世俗的な、どうでもよいやりたいことリストかしら?でも、人はなんだって思うことができるし、思った通りの人生に、いつかは、なるんじゃないかな。
コメント