長い間、英語を勉強し続けてきました。
それでもどんなに勉強しても、手が届かない憧れの存在です、英語は。
永遠に、英語を自由に使えることはないんじゃないかと思います。
それでも、何とか続けてこれているのは、英語が好きということのほかに、いろいろな場面でやる気をもらっているから。
時にかっこいい動画をみてこうなりたいと思い、
時に日常生活で恥をかいて、悔しい思いをして。
いろいろなところでやる気をもらいながらここまで来ました。
さて、そんなわたしに今までモチベーションをくれたインターネットの中の人々を紹介したいと思います。
上田式シャドーイング
上田式シャドーイング 医師兼同時通訳者なのですって。かっこいいいいーーー!!!
つられてタイマーを購入しました。
なおきまさん
CNNで紹介されていました。こちらの方も、医師で英語
はむっちさん
この方も、お医者さんで英語を勉強している人。
いろんなところに関心があって、すごいなあ…と尊敬しています。
そのほか
ちきりん氏のこのエントリを見て、はっと気が付かされます。日本語だけで生活できる私たちの生活と、英語が明確にAdvantageになる地域に住む人々。
内田樹が、「日本人は、英語がなくても生活できるから、これでいいのだ」とも書いていたような気もするけれども、ここら辺は、自分の中でもまだ考えがまとまっていない。その通りだとも思う。一方で、成熟するためには、外国語を学ぶ必要がある、とも書いているけれども。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/31_0824.html
僕の結論は「どんなものであれ、外国語を学ぶことは子どもたちの知的成熟にとって必要である」ということでした。これが僕の基本的な立場です。こればかりは譲れません。
しかしながら、母語があってこそだということを忘れてはいけないよな。
一言しゃべった瞬間に、オーラル・コミュニケーション能力が格付できるシステムを構築しようとしている。これはまさに植民地の言語政策以外の何物でもない。
植民地英語を教えようとしている人たちの言うことはよく似ています。文法を教えるな、古典を読ませるな、そんなのは時間の無駄だ。それよりビジネスにすぐ使えるオーラルを教えろ、法律文書と契約書が読める読解力以上のものは要らない。そう言い立てる。それが植民地の言語政策そのままだということ、自分たちの知的劣位性を固定化することだということに気が付いていない。
こうやって英語を楽しく、時に大変に学んでいるわけですが、なぜ英語を学ぶのか?という点は、自分のなかでもしっかり向き合っていきたいと思います。
なぜ、英語を学んでいるのか?早口でぺらぺらしゃべりたいの?ビジネスで優位な立場にいたいの?英語を学ぶことで成熟するの?
外国語を学ぶことの最大の目標はそれでしょう。母語的な現実、母語的な物の見方から離脱すること。母語的分節とは違う仕方で世界を見ること、母語とは違う言語で自分自身を語ること。それを経験することが外国語を学ぶことの「甲斐」だと思うのです。
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