仕事の満足感は、落とし穴のようなものだ

感謝された。仕事で。


普段から「自分の仕事に価値はないんじゃないか」って思いが強い私にとっては、感謝されてるという経験は、とても満足感があるものだ。

何台かのタクシーを回して、さばいただけなのだ。他部署が開催している外部との大きな会議があり、会議終了後に参加者をタクシーに乗せて移動させねばならないからその手伝いをした。他部署だけれども、手伝った。

その仕事に対して、なんで我々がやらなきゃいけないのか?と思う人もいるだろう。でも、まあできるからやろうということでやった。


たったそれだけ。それでも、人が足りないところ手伝ってくれてありがとうと、感謝されてうれしい。役に立ってうれしい、という気持ちである。気持ちのよいものだ、自分がやったことで感謝されるのは。

しかし、感謝されることと価値があることは、別問題ではないか。

感謝されるから価値があるって、違うと思う。
それなのに、変に勘違いしてしまう。

それって、価値があることなのか?

すべてを換金はしたくはないけれども、それでお金を稼げているのか?と。感謝されて、そして私が得たものはないか?ということを考えてもいいのかもしれない。

だから、落とし穴なんだとおもう。仕事で得られる満足感というのは。相手はそれで助かった、でもわたしはどうか?

感謝されて嬉しい、というのは、仕事をやっていて多くの人たちが思うことだろう。大変な思いをしてやり遂げたこと、それに対して感謝というフィードバックがあること。

その満足感に加えて、学びがあるか?そこで自分は何を得たのか?ということを考えたほうが良いのかもしれないと思う。

今回で言えば、得られたのは、チームの一員として働ける人だという印象か?信頼か?

はたまた、便利に使えるやつだという印象か?雑用なら押し付けることができるという印象か?

感謝という裏にある搾取にならないために。やるからには、得るものを。

したたかにでも、取りに行ったほうがいい。

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この記事を書いた人

英語、登山、旅行、考えること

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