最近ずっと考えていることがある。
それは——社長外しの動きが、正直えぐいほど明らかになってきたということだ。
社内ではいくつも会議が開かれているけれど、その中には社長が出席せず、代わりにCEOが参加している会議が多い。
「社長は一体何をしているんだ?」と周りから聞かれても、もう答えようがない。
まるで“忖度の王様”みたいな存在で、必要ないのにポジションを与えられているだけ、という印象さえある。
誰も社長に期待していない。
むしろ「おとなしくしてもらうための接待費と部屋」が与えられているようにも感じる。
会議でも社長の名前は出ず、みんなが気にしているのはCEOの顔色ばかりだ。
社長とCEOは一見、仲良さそうに見えるけれど、あれは多分CEOが作り出した構図なのだと思う。
そして社長はそこにすり寄っている。
なんというか——体制の転換というか、時代の流れというか。
社長にもチャンスはあったはずだけれど、自分のやり方に固執して、変化に乗り遅れた。
変われないなら、変えられるしかない。
そういうフェーズに入ったのだろう。露骨な派閥争いはなかったと思うけれども、いつの間にかそうなっていた。
社長抜きの会議が増え、露骨に無視されるようになってから、社長は会社に顔を出すことも少なくなった。
情けないような、寂しいような気持ちになるけれど、仕方がないのかもしれない。
周囲もそれを分かっていながら、黙って見ている。
もうこれは“共犯”だ。
社長もすっかり元気をなくしてしまい、それが部下にも伝わっている。
「経営者なんだから頑張れ」とか「自ら示すべき」とか、そういう次元ではもうない。
中からはもう変えられないのだろう。
外部から、「この人を外せ」と言われない限り、座り続けるのかもしれない。
それでもうちの会社は優しくあるのではないか?
一応“椅子”を用意してあげる。
でも、そのやり方もそろそろ変わっていくのだろう。
どんなに「ザ・日本企業」でも、変化の圧力は確実に高まっている。
外国人投資家たちが次々と入り込み、「変われ」と言ってくる。
会社どころか、業界全体を変えろという勢いだ。
日本企業にも良いところはある。
でも、だめなところも確かにある。
そして、それを一番感じて苦しんでいるのは現場の人たちだ。
能力もなく、会社の方向性も理解していないトップがいるという現実。
それが一番のストレスになっている。
社長を見ていると、どうしても幻滅してしまう。
「こんな人について行く意味があるのか?」と、心のどこかで思ってしまう。
けれども、周りには“社長だから”という理由で従う人たちもいる。
私にはそれがリスクにしか見えない。
社長の側にいること、話を聞いてもらうことさえ、リスクだ。
たとえ「どこに行きたい?」と聞かれて、「絶対に叶えてあげる」と言われても、
その推薦で動けば“派閥入り”と見られてしまう。
そういう構造の中で、どこにも属さないまま生きるのは難しい。
それでも、私は思う。
今のこの状況を見て幻滅している人は、きっと私だけじゃない。
でも、誰も口には出さない。
声に出したら終わりだから。
判断を変えられるのは、もはや内部ではなく、外部——つまり株主たちなのだろう。
会社は優しいから、社長を突然クビにはしない。
次は顧問ポジションを用意するのだろう。
待遇を維持して、穏やかに幕を閉じる。
けれども、それこそが問題だと思う。
「結局、トップになってもこれか」と思われてしまうのだから。
やれやれ。
そんな現実を目の前にして、今日も私は静かにため息です。。
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