先日、所属している会社のグループ会社で、庶務業務をまるごと請け負っていた機能が、がらっと置き換わるという出来事がありました。理由は明確で、コスト面で優位になるから。そして、今後の機動性も考えての判断だと思います。
これを聞いたとき、「そうか…」と納得しつつも、少なからず衝撃を受けました。
グループ会社だからといって温情をかけ続けることはできない。利益を上げられないのなら、合理的に削られていく。それが企業の世界です。
そんなことを考えているうちに、私は秘書という仕事の立ち位置について思いを巡らせました。
秘書は「バッジ」か、それとも機能か
秘書は、ある種の「バッジ」として扱われている面があります。つまり、役員や上層部の存在を象徴する付属品のような役割。だからこそ、どんなにAIが発達しても完全にはなくならない職業だと私は思っています。
しかし同時に、秘書部やその中にある「無駄」とされる部分は、これからどんどんそぎ落とされていくでしょう。
大企業がそれをやらないはずはありません。現場の従業員でさえ、「スケジュール調整なんてAIでできるのでは?」と思う時代です。もちろん、私もずっとそう思っていたし、今でも思っています。
もし大量の秘書がいたら、投資家はどう感じるでしょうか。目立つ人件費は削れ、と言うはずです。
秘書という名称はあっても、その実態が「事務をする人」と変わらないならば、部長・課長・課員という階層を抱えた部署は、コストの塊に見えてしまうのです。
市場原理と淘汰
たとえ「秘書にしかできないこと」があったとしても、市場原理の中では、その必要性や費用対効果がシビアに問われます。
社内の調整業務ができる人は確かに必要ですが、「上司に言われたことだけをやる人」は淘汰される運命にあります。
そして、残るのは本当に限られた役員秘書――もしかしたら、経済合理性だけでは説明できない、いわゆる“ブルシットジョブ”の領域かもしれません。
役員の世界には、経済合理性だけでは語れないこと、たくさんあるのよね。それは嫌気がさすほど見てきた…気がする。
この出来事をきっかけに、私は改めて考えました。
AIがあらゆる業務に浸透するこれからの時代に、秘書という職業はなくなるのか。
多分、今はぬるぬるしている。
そりゃ、秘書の仕事が大変なことや、秘書の人たち自体はとてもいいひと、であるのは変わらない。
でも、そういうことではないよね。
でも、物事は、変化は、起きないはずないだろうな。
今まさに、どこかで誰かが考えているところなんじゃないだろうかと。
ぬるぬると、着実に、したたかに、構造変化を考えているのだと思う。
象徴的存在として生き残るのか、それとも役割を再定義して進化するのか。
淘汰と残存、その境界線は、思っている以上に近くにあるのかもしれません。
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