泣きました。本を読んで。
これは私のことかと、涙が出たのですよ。
なぜって…
多くの人たちが、自分たちの仕事が穴を掘って埋めているだけだと気が付いていて、そして、それに苦しんでいる。それを知ったからです。
私だけではなかったのだと、思い切って、それで涙がでたのです。
本家の本は、読んでいませんが、まずはコチラの本から。
「ブルシットジョブ(bullshit job)」とは、イギリスの人類学者デヴィッド・グレーバーが提唱した概念です。直訳すると「クソどうでもいい仕事」といったニュアンスで、本人も社会もその仕事に存在意義を見いだせないのに、形式的には正規の雇用として成立している仕事のことを指します。
ただひたすら、穴を掘っては埋めるようなことに時間を費やす仕事。
特徴
- 本人も無意味だと感じている
仕事をしている本人ですら「なくても社会は回るのでは」と思ってしまう。 - 社会的にも価値が認識されにくい
教師や看護師のように「なくなったら困る」と思われる職業と対照的。 - 形式的に続けられている
組織の慣習や権威の維持、体裁を保つために存在する。
グレーバーによる5つの類型
- フランキン(取り巻き)
上司や組織の権威を保つために存在するだけの仕事(例:名ばかり秘書、大げさな肩書きだけの補佐役)。 - ゴーンズ(脅し屋)
実際には必要ないのに、相手を萎縮させるために存在する仕事(例:無意味な顧問弁護士、過剰なロビイスト)。 - ダクトテープ貼り
根本的に欠陥のある仕組みを一時的にごまかす仕事(例:システムの不具合をひたすら補修するスタッフ)。 - ボックスティッカー(書類穴埋め要員)
本質的な意味がない書類や報告を埋めるためだけの仕事(例:見られない報告書を作る)。 - タスクマスター(雑な管理者)
実際には管理する必要のない人を監督するための管理職。
なぜ生まれるのか
- 組織の権威構造やヒエラルキーを保つため
- 公的機関や大企業における「形式上必要」とされる書類・会議
- 雇用を創出しているように見せるための政治的・経済的理由
グレーバーは「もしその仕事が突然なくなっても、誰も気づかないか、むしろ喜ぶような仕事」が典型的なブルシットジョブだと説明しています。
秘書はブルシットジョブか?
秘書はブルシットジョブだと、だから精神的に虐待されているのだと考えることは、ナイーブなことなのだろうか。
わたしはそれをブルシットジョブだと思っている。必要以上に仕事に意味を求める必要なんてない、と割り切る必要があるのかもしれないけど、そう割り切れない人が多いから、ブルシットジョブに苦しめられている。
仕事に意味を求め始めるから、人は不幸に感じてしまうのだろうか。
やりがいとか、それは搾取だとか、考えずにやれば苦しまずに済むのかな。
しかし、それは人間が仕事を行うことの意味付けができないようにも感じる。それこそ、機械やAIがやればよいのであって。ストーリーが必要だと人は言う。物語があるからこそそこに意味が生まれて喜びがあるのだと。堂々巡りとなってしまい、答えにたどり着かない。
どんなに効率化できても、秘書はなくならないだろう、なぜならバッヂ的な意味合いもあるから。それならそれでいいのに、そこに、『秘書という仕事は、大切な仕事であって…とか、どんな仕事も面白いと思うかどうかは自分次第だから…』とか、そういうことを言われるから辛いのかな。
「おいしい仕事を辞めるなんて、人はバカだ」という。
しかしながら、きっとわかっているのは、「わたし(たち)は、苦しんでいる」ということだ。その苦しみが見方を変えるだけでよい風にも悪い風にもとらえることができる。そのくらいふわっとしたものなのだろうか?
さて、労働とはいったい何なのだろうか?と考えざるを得ません。
キリスト教では、労働とは人間に与えられた罰だというそうです。でも、わたしは労働は喜びなのではないだろうかとも思います。家事労働という言葉とか。家事にお金を払うとか言いますが、それってどうなんでしょうとも思います。
空気を読みあう仕事ごっこ。効率化しようとかいう活動家がいる一方でブルシットジョブはなくならない。
そこの本では、ネオリベとの関わりにも触れていて面白かったな。
私たちの、このシステムに飲まれているというあらがえなさ。これぞ資本主義なのか?どんなに効率化しようとも仕事は増え続けるし、ブルシットジョブも増え続け、人間の精神をむしばんでいく、ということなのだろうか。そして、わたしがブルシットジョブを、しているのと同様に、わたしもブルシットジョブを創り出している。それは、もうこの資本社会にいる以上、避けられないことなのだろうか?
あとね、よく言われているレンガ職人の話。そういうのも、ネオリベの思想のひとつなのか、ネオリベにどっぷり浸かりきっているからこその考え方なんじゃないか。と最近思い始めました。
別に、ネオリベはそれはそれでいいのよ。でも、それが唯一の考えで絶対に正しい、の、雰囲気は違うよねと、最近思い始めたわけです。
まあ、生きてる限り考えよう。
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