2025年の夏、私は中央アジアの国ウズベキスタンを訪れました。
地図で見れば遠く、正直なところなじみがある国でもないです。
どこ?って聞かれます。
ウズベキスタン行くなんてチャレンジだね!!!と人には驚かれます。
旅行好きな人の中では最近はメジャーな国のようですが…
スタン系の国、行ってみたいんだよね!といわれることも多かったです。
夏休みの旅行先を決めかねていましたが、周りで何人かが言ったことのあるウズベキスタンに決めました。
フライト費用もそんなに高くないし。教科書に載っていたサマルカンド、砂漠の中のオアシス都市ブハラ。夏休みの記録です。
今回の旅はツアーではなく完全な個人旅行としました。
飛行機のチケットから鉄道、ホテルに至るまで全て自分で手配、準備は決して楽ではない。
直前まで「やっぱりツアーの方が楽だったかもしれない」と思うことも何度も。
旅立ち前に図書館で『シルクロードを一万円で旅する』という本を手に取り、西安からサマルカンドへと続く古代の道に思いを馳せるとともに、事前に準備をしても全くイメージのわかない国でもあった。ああ、本当に準備面倒だ・・・何度もそう思い、直前には行くのも面倒になった。でも、いざ!
成田からタシケントへ──旅の始まり
出発は成田空港から。
9:00のフライトだったので、成田で前泊をしようかと思ったものの、結果、前泊はせず。
朝4:45には家をでて成田空港に向かいました。
電車遅れたらアウトですが、スムーズに成田空港に到着しました。
最初のハードル、クリア!
オンライン事前check inをして、控えを印刷して持っていたのですが、カウンターに並ばずに、check in機で手続きできました。(預け荷物がないということもある)カウンターには列が並んでいたので、check inに時間がかからず良かったです。さすがアシアナ!と印象はよい。
7:20には保安検査場を通り過ぎていました。
さて、搭乗までゆっくりするか・・・というところで、ふと、「米ドルは持っておいたほうが良いのだろうか?」と頭をよぎります。というのも、現地ツアーを申し込んでおり、価格表示が米ドルだったのです。
キャッシュ社会とのことは事前学習していましたので、タシケントで日本円から現地通貨へ両替を予定していましたが、果たしてそれでよいのか?と大いに悩みます。
ホテルはクレジットカードで払えるけど…とかいろいろ調べましたが、結果、米ドルは持っていて大正解でした。
ホテルでは、クレジットカードが使えると書かれていても、現金だとディスカウントがはいったり、クレジットカードだと手数料が高いから現金のほうがよいと進められてたり。
直前でばたばたしました・・・いずれにしても、旅行するときは米ドルは少しはもっていると安心なのかもしれません。
インチョンでの乗り継ぎ時間にはインチョン空港でソルロンタンを食したり、スタバでコーヒーを飲む。
だが、タシケントに着陸直前ですが、機内食で提供されたピザが合わなかったのか、突然吐き気に襲われ、トイレに駆け込んだ。嘔吐と同時に苦しくて涙が出る、というたぐいの嘔吐。
ピザ、すごくおいしかったのだけどなあ。寒気もあり、頭痛もしてきて、これはやばいかな!?と思うようになる。
タシケントに到着した時には、「無事に着けた」という安堵感なるも、入国審査で長蛇の列。日本からのツアーも多かった。阪急阪神旅行、西遊旅行、クラブツーリズムなど。ウズベキスタンというなじみのない国だからこそ、なんとなくの連帯感もあるよね。

空港を出ると、すぐにタクシーの客引きに囲まれます。これ、いつも面倒です。
「マダム!タクシー!マダム!」
交渉すれば安く行けるのだろうが、疲れていた私は言い値で乗ってしまった。
1,500,000スム。高いとはわかっていても、もうホテルにたどり着ければいいと諦めた。後で、悔しーーー!!!という気持ちになり、このとき「次からは送迎を頼もう」と心に決めました。個人旅行の自由さは魅力だが、面倒さも勝る。。。
空港近くのゲストハウスに到着したのは22時過ぎだったか。宿主がちゃんとお迎えしてくれた。
ヒヴァの静謐な朝
ゲストハウスでは寝たり起きたり、とそんなにぐっすりはできませんでした。
翌日、ホテルから国内線ターミナルへ、Yandexというタクシーアプリで移動します。
朝は6時前にホテルを出て、6時過ぎに空港に到着しました。
それでも空港ではすでに人は多かったです。6:30までにはcheck inをすべきとのことでした。
国内線でタシケントからウルゲンチ空港へ飛び、そこから送迎をお願いしていたホテルのタクシーに乗り込み、ヒヴァへ。
送迎タクシー最高!空港でたらお迎えいるってラク!
高いのはわかっているけれども、ちゃんともてなしてくれるし楽ちん。
宿泊したホテルは、城壁の中のホテルで、「メドレセ」という神学校を改装したホテルです。
こんなところに泊まれるなんてーーー!!!
とテンションが上がります。すごかった。異世界です。
チェックインの前に、2つ部屋を見せてくれて、どちらが良いか選ばせてくれました。



乾いた大地の上に広がるヒヴァの町は、まるで時が止まったかのようで、
午前中の時間帯だからか、静かなのが好印象。
恐らく観光業に特化した街なのだろうけれども、早朝の旧市街の町並みと静けさは特筆すべきところ。
まだ観光客が動き出す前の静かな城壁の中を歩くと、ミナレットやモスクが淡い光に照らされ、タイルの青がほんのり輝いている。
こんな素敵なところなのに、観光客でわちゃわちゃしていないって、本当に貴重です。



ヒヴァでは地元の人々の素朴さに触れることもできました。
ウズベキスタン人の観光客も多いようで、歩いていると写真を一緒にとってほしいといわれました。
そういわれることが何度か。良い経験です。
なお、カフェで注文した紅茶は驚くほど薄く、「これも文化の違いなのか」と妙に印象に残る。
ヒヴァからブハラへ
午後の鉄道でブハラへ向かいます。ヒヴァで一泊しました。
主に街歩きをしましたが、ガイドツアーをお願いできればよかったなとは思いました。
観光客の多くは、ガイドさんと一緒だったりで解説があり羨ましく感じました…
ホテルで紹介されたガイドはUSD60とのことだったので、個人的には高いな、と思ってしまったのですよね。今思えば、プライベートガイドでその値段は問題ないと思うのですが、グループガイドと比べてしまった。
Get Your Guideで直前に予約しましたがうまく合流できずキャンセルしましたし。今後に生かそう…
午後の鉄道でブハラへ向かいますので、Yandexでヒヴァ駅まで移動します。
長距離列車での移動、ドキドキの列車。
駅はきれいです。
7時間ほどの旅となるので、売店で水とサモサを購入しました。サモサは、肉とジャガイモが入っているものがあり、どちらにする?と聞いてくれました。

列車の中では、コンパートメントでしたので、誰が来るのかちょっとドキドキしていました。
すると中国人家族と席を並べることになり、彼らが差し出してくれた食べ物を一緒にいただいたりと少し交流。。笑顔で交流し、温かさを感じた。子どもが話す中国語が可愛かったです。中国語、流ちょうに話せるようになりたいなあ。



列車の中では、Kindleを読んだり、外を眺めたりして過ごす。プリントしていた列車の予約表を駅員さんに回収されていたのでなぜだったのだろうと思いましたが、Kagan駅(ブハラ)到着前に声をかけてくれたのでした。言葉がわからないから、わざわざ教えてくれたんですね。優しいです。
Kogan駅でもホテルで送迎を頼んでいました。これまた高い!と思うけれども、駅を出たところで合流できると楽ちんです、本当に!
灼熱のブカラ
ブハラの町は灼熱だった。気温は37℃を超え、日向に立っているだけで汗が噴き出します。
町中が工事をしていて、再開発的なところがあるのかなと思うくらい。
ちょっと想像していたのと違いましたので、あまり私にとっては印象に残る街ではなかったです。
一番のFine Dining?でランチをしました。高い店だけど口コミもよかったので。雰囲気は抜群でお料理もおいしかったです。ブカラのナンを食べれたので満足です。シャシリークを食べたかったのですが、ラムチョップ風のものをお勧めされたのでそちらを食べます。肉の旨みとスパイスの香りが強く、疲れた体に沁みますが食べきれず。
早朝、街を歩いているとナンを持って歩く人たちが何人かいました。





サマルカンド──青の都
「青の都」と呼ばれるサマルカンドは、この旅のハイライトです。サマルカンド駅からはYandexタクシーでホテルまで向かい、check in後は疲れていたので出歩かずに休みました。このホテルも素晴らしかった!
レギスタン広場に立ち、目に飛び込んできたのは圧倒的な青の世界。モザイク模様が太陽の光を受けて輝き、見る者を異世界に誘います。



サマルカンドでは現地ガイドを付けたのもよい経験だし、私にとっても新しいことでした。グループツアーではなく、プライベートでガイドをお願いする。ひとりでぶらぶらしているのと全然、解像度が違うーーー!!!
観光するならガイドを付けるべきだね、とか思ってしまいました。
旅にもいろいろと目的がありますがね。
現地ガイドが、ティムール帝国の歴史や修復の過程を丁寧に説明してくれました。
彼はタジク人で、ウズベク語もロシア語も堪能だという。多言語を自在に操る姿は、この地が昔からさまざまな民族や文化の交差点であったことを物語っていて、なかなかに新鮮。
サマルカンド
シャフリサーブス、サマルカンドからタシケントへ
ティムールの生誕地シャフリサブスへも足を延ばしました。ツアーガイドさんも予定も空いていたので、日本語ガイド付きで200万スムとお高いですが、私はその価値はあると思いました。(もちろんもっと安く行けるけど…、サマルカンドの郊外や山岳風景も見たかったし)そこでは銅像や霊廟を巡り、ソ連時代のレンガが「今でも丈夫で人気がある」という話を聞きました。



いろんなモザイクに飲み込まれる。
当時から残っているオリジナルものもあれば、修復されているものもある。
青いものはラピスラズリ、職人をいろんなところから連れてきた、鉱物もいろんなところから持ってきた、と何度も説明を受ける。



帰路のシェアタクシーは、旅の試練でした。シェアタクシー乗り場についたとたん、何が何だかわからないうちにタクシーが来て乗り込む。水をくれました。料金も何が何だかわからないものの、相場をガイドさんが教えてくれたので、最初にその金額をノートに書いて見せておく…


まず、シェアタクシー乗り場へと車が途中で故障し、炎天下で30分以上待たされる。
汗だくになりながらイライラもして、「なぜこんなに大変な思いをしてまで旅をするのだろう」と思ったが、後から振り返ればこれも忘れられない思い出かな。
旅とは便利さや快適さだけでなく、不便さを引き受けることで深みが増すのかもしれない。
タシケントの最終日
旅の最終日。
10:30ころまでホテルで過ごしました。朝食は、普通・・・ウズベキスタン特有のものはありませんでした。
タシケントではティムール博物館を訪れ、プロフセンターで名物料理を食べ、チョルスバザールでナッツを買った。





どれも観光ガイドに載っている定番の場所だが、自分の足で歩き、迷い、たどり着いたからこそ印象深い。空港に向かうタクシーの中で「これで旅が終わるのか」と少し寂しくなった。
仁川でのトランジットではチムジルバンに立ち寄り、汗を流して心身をリフレッシュ。
異国での最後の「ひと風呂」が、長旅の締めくくりとしてちょうどよかった。
ティムールの国だった
ウズベキスタンに行って、とにかくティムールを崇拝していることが分かりました。ソ連崩壊までは、ティムールは残虐な征服者、悪党。でもウズベキスタンが建国されると英雄扱いされる。
ティムールの銅像は、ウズベキスタンに3体しかないのですって。

言語欲を刺激される
とにかく、いろんな言語が話されていて刺激的!
観光客はイタリア、フランス、スペインから多いとのこと。聞こえる限りでは、中国語と韓国語は少な目かな。
ロシアからの観光客が一番多いとのことでした。
旅行にChat GPTが大活躍
旅行中もとにかくChat GPTを利用しました。便利な相棒です。
旅を終えて
今回の旅で一番強く心に残ったのは「朝の静けさ」です。
ヒヴァでもサマルカンドでも、観光客がまだ動き出す前の町は、信じられないほど静かで美しい。
石畳の上を歩く自分の足音だけが響き、青いタイルが淡く光る。あの瞬間に感じた「旅してきた実感」は、何にも代えがたいものだった。8月のウズベキスタンはとても暑いですが、朝晩は涼しく、青い空にも恵まれて本当に格別。
観光地の一番の中心に泊まれることが魅力だと思いました。
ホテルを出たら、すぐ横が歴史遺産なのです。
朝6時の時間帯で散歩をすると、ものすごく人通りが少ない。
旅行客って、朝早くから活動しているイメージですが、ウズベキスタンではそれがない。
昨年訪れた上高地では、朝の6時で観光客があふれかえっていて閉口しましたけど。
昨年の夏休み旅行であるバルト三国は、ちょっぴり退屈だったので(ヨーロッパに行くという目的は果たしましたが)今回も退屈なのかもしれないと覚悟はしていました。でも、すごく楽しく意義深い旅行で、わたしにとっての旅行のイメージを新しくするNew Horizonという感じがしました。
思えば、バルト三国もウズベキスタンもどちらもロシア語の国です。
前回は、全くロシア語に興味がわかなかったけれども、今回はすごく興味がわいた。この違いは何でしょう?
暇かな?とおもったけれども、案外そうでもありませんでした。
プライベートガイドを依頼したり、タクシー送迎もあったり。
そう、気構えなくてもよいかな。ああ、楽しかった旅行でした。
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