そういえば、わたしは結構議論が好きであるということを思い出しました。
きっかけは先日の飲み会です。
その前日にも楽しくて飲みすぎたと言ったものの、その翌日も飲んで楽しくなってしゃべりすぎて、あんなに話さなくても良かった・・・と思っているところです。話していると議論のようになってきて、たのしかったようでずけずけとずいぶん話しました。
またやってしもうた・・・
普段自分の意見を話す機会がないから、飲み会でこんなに本音で話してあとから後悔してしまうのだと思います。致命的に失敗したとは思わないですが、普段ポーカーフェイスで通しているのにこんなに自分の意見を話して、しかも正義ぶって。
議論が進むと楽しくなってしまってね。
私、こうやって話すの好きなんだよと思いました。
しかしながら、後から思い返して恥ずかしいです。
酒の席での失敗というのはわたしも何度もやっているとおもいます。思います、というのはだいたい、わすれているから。
池田晶子が、その本の中でこんなことを言っていました。
「ウサを晴らすために酒を飲むのは、お酒に対して失礼というもの。人生に酒という友があるのは大切なこと。友を大事に。」
結局私は、自分の中に「ウサ」があって、それを晴らせていない。
普段から言いたいことが言えていない。だから、お酒の席で自分の意見を意気揚々と話して得意げになって、あとから恥ずかしい〜って思ってしまっているようです。あー、おばか。
普段言えていないことをいうことは、誰にとってもはスッキリすることです。
スカッとするのです。
でもね。
ただの自己満足だし。
それで気持ち良くなっているのって自分だけ。
その場にいた人を不快にさせていないか?ずいぶんと成熟していない人間じゃないかって、思われていないか?話している人のバックグラウンドだって何もわからずに、その人がどんなことを考えているのかも、よく知らずにに自分の正しさを振りかざしていたら。
もっと成熟した人間になりたいと思うのです。
わたしはあまりに内省的すぎるでしょうか。
ですので、わたしはまた思うのです。
酒の席では気をつけよう。特に気の置けない仲間との飲み会は楽しくて良いことだけど、ウサを普段から話せていない私。だったらもっと別の方法でウサを晴らすとか、考えたほうがいい。運動とか。
普段から言いたいことを言おう。
⭐️⭐️⭐️
一方で、酒の力を借りて話していろいろ話したのも、ある意味、よかったのではないでしょうか。
そんなものなんじゃないの?と。
言われてムキになったのは、やはり自分の仕事を悪く言われているように感じたり、否定されているように感じたこと。それって、私にはまだ、そこに情熱を感じているんじゃんと。
そのことに気づきました。
まだまだ、いろいろと途上です。
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