聴くことができるためには、自分が傾聴された経験があることが必要なのかも

傾聴という言葉、うんざりしていませんか。

私は、かなりうんざりしています。アホみたいだ。仕事なんだから、傾聴なんて甘ったれたこと言ってさ…家じゃないんだ、子どもじゃないんだよと。そう思っていたのです。

でも、そんな考えを改めるきっかけがありました。

それは、友人4人と出かけたときのこと。

その時の車中での出来事は、自分の人生にとってとても重要なんだと思えるような時間であり今後の人生の大切なパートとなるんじゃないかと思いました。

車中では、それぞれの人生を語りながら。お酒が入るものではなく、淡々と話をしていたのです。仕事のこと、家族のこと、人生のこと、悩んでいること。そして、私もまた、自分の人生について語ったのです。語ったという程のものではないですが、話しました。それが、とても受け入れてもらっている、と感じたのです。

私は最近、自分だったらうまくできるとか、こんなんじゃだめだとか、良くしなければいけないとか、そういうことばかりを考えていたのかもしれません。こうあるべきだとか、正しい方向に、より良い方向にと。だから、人の話を聞いていても話を遮ったり、否定したり、べき論を語ったりしていました。

最近は、それはよろしくないなあ、そうじゃないんだろうなあということはうすうす気が付いていました。

でも、その車の中で黙ってじっとみんなが聴いてくれたことが、決定的となったのです。話を聞いてくれる、否定もせず肯定もせず、黙って…というのがこんなに「心にくる」経験だったとは、思いませんでした。でも、そのあと、みんなと別れたあと、電車の中で涙が出たのです。泣きそうに。

次の日の朝、起きた後も、涙が出ました。

ただ、聞いているだけなんですよ。聞いてもらっている。そんな振りしているのかも。実際はなんにも考えてないのかも。

別にめちゃめちゃ仲の良い人、というものでもないのです。たまに会うくらいの人。でも、黙って聞いてもらった、自分の話を。

そして、それに、感動したのだと想います。私の心が、感動きました。

馬鹿みたいでしょう。聞いてもらっただけで涙が出るなんて。なんで涙が出たのか分かりません。嬉しかったのか?といわれるとちょっと違う気もします。

傾聴することが大事、といいます。でも、なんだかバカみたいだと、思っていました。傾聴傾聴って、バサの一つ覚えだ。

でも。

自分が聞いてもらって、涙が出るほど感動したこと、こころにぐっと来たこと、こころを動かされたこと。

自分の糧になるような経験だと思ったのです。

話を聞いてもらわなきゃ、こんなことは思わない。傾聴なんて、と思っていた私が、人の話を聞こう、と思えた経験だったのだ。

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この記事を書いた人

英語、登山、旅行、考えること

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