生活を整えたいと思うこともあるものです。
丁寧な生活なんていう概念、大嫌いだけど…
それでも自分がコントロールできるのって、その身の回りのことだけって言うのが究極なのかもしれないと最近は思い始めました。
わたしが最近考えている生活のことについて、それを自分の生活のプリンシプルというか哲学というか、に整理してみる。なんとなく生活するのではなく、自分の生活のポリシーかな。そう。生活のポリシーがあってもいいじゃないかと最近思い始めたのです。完璧にできているものでもないですが、こうありたい、わたしの生活の在り方です。
いただいたもの・買ったもの、は、なるべく早く食べる・使い切る
安くて購入した野菜でも、頂き物のお菓子でも、購入した本でも化粧品でも。
これは自分の生活スタイルがミニマルにシンプルでいたいという志向であるからかもしれないけれども、
ため込まないようにしようと思っています。なかなか徹底はできないけれども、しまい込んでも、また、もったいないからと少しずつ食べても、結局だめにしてしまうということが往々にしてあるのです。
購入したその時が、一番の旬であるのだと思います。
頂いたものは、すぐに食べて感想を言う。
安く大量に購入した人参があったとしても、少しずつ食べてたらだめになるし。
また、最近はスーパーで食品を購入するときも基準は「旬で安いもの」ということにしている。旬のものが安いのだ。だからこそおいしいのだ。そして、早めに調理していただく。冷蔵庫の中にしまっておくと、購入した時のモチベーションもさがる。そして廃棄するのが一番もったいないのです。
目につくところはきれいにしておく
情報量が多いと疲れたり、認知に障害が出ることは研究でも明らかにされているらしい。
シンプルですっきりとした家にいること、部屋であること。
これもなかなかできないことだけど、目指す方向です。
脱いだ洋服は散らばるし、紙ものは多い。勉強系書籍もとにかく捨てられないし追加で購入することが多いし。ここらへんは、わたしが成仏できていないところかな。捨てられないとか、ものが多いとかは、非常にメンタルにかかわってくるところの模様です。つまりは、ものを捨てるとメンタルが改善されるということだろうか。という屁理屈はさておき。すっきりした部屋で暮らしたいです。
少し前までは、「憧れはつぶしておく」なんてこと、掲げていました。
後で、「これをやりたかったのに…」と言いたくないので。
憧れをつぶすために国内や海外を旅行したり、温泉登山したり。
ハノイに弾丸で遊びに行ったり、数年前やりました。
ただ、「やってみたくて」というものです。
自分が飽きっぽい性格というのも大いに関係しているのかもしれないけれども、そういうのも、一通りやると満足するものなんですね、人は。今はそこまで憧れがあるわけでもないなあ。
「あ、贅沢なこと自分もしていいんだ」みたいに思うのかも例ません。白井聡が、「自分にだっておいしいものを食べる権利はあると主張すること」が新自由主義打倒のための一歩だなんて言っていましたが、ちょっとそんなことかしら?「そんな、私なんて、バリバリ働いているわけでも家族を養って疲れているわけでもないのに、旅行で贅沢するなんてそんなこと…だからもっと働いてから遊ばなきゃいけない」というのは、新自由主義の考え方にどっぷり染まっていることなのだと。(ちょっと間違った解釈かもしれませんが)
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