働き方の価値観が変わってきた話


ここ数カ月で、私自身の「働き方」に対する考え方が大きく変わってきました。
特に4月から週に一度 在宅勤務をするようになってから、その変化を強く実感しています。

以前の私は「会社に出社して、朝早くから長時間机に向かっていること」が仕事の証であり、全力で取り組むことこそ正義だと信じていました。しかし今は、少し違う視点を持ち始めています。


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在宅勤務は「仕事していない」

数年前から在宅勤務をしている従業員が増え、正直なところ「これは仕事をしているとは言えないのでは?」と思っていました。
わたしは毎日出社しているのに、上司もチーム員も在宅勤務で、みんな楽をして、なんなんだ!(怒)と。
会社に出社していれば、誰かの目もあるし、物理的にそこにいること自体が仕事をしているように見ることもできなくもない。
反対に、自宅で一人パソコンに向かっていても、集中が途切れたり、できないことも多かったりして「マジで自分は田原いてないな」と思うことも。

でも、在宅勤務を続けるうちに「それでいいのでは?」と思うようになってきました。
出社しているときほどの密度で仕事ができなくても、結果として必要な業務が進んでいれば十分なのではないか。
働く場所や時間に縛られる必要は必ずしもないのではないか。そんな感覚が芽生えてきたのです。


「毎日全力で働くべき」という思い込み

これまでの私は、「お給料をいただいているのだから、毎日全力で成果を出さなくてはならない」と考えていました。とにかく手を抜かず、全力投球することが責任感であり、社会人としてのあるべき姿だと信じていたのです。けれども、ふと立ち止まってみると疑問が浮かびます。

果たして、毎日同じパフォーマンスを発揮し続ける必要があるのか。

仕事の性質上、成果が大きく見える日もあれば、裏方で支えているだけの日もあるはずです。別にわたしは時給で働いているわけではないし。
それなのに「全力を出せていない自分は不十分だ」と感じるのは、かなり不健全な発想ではないかと思うようになりました。製造業や工場勤務者なら、ベルトコンベヤーの生産性を考えるとそれは合理的な考え方だったのかもしれないけれども。


労働生産性という視点

今の私は、「同じお給料をいただいているなら、短い労働時間で成果を出せるほうが合理的」という考え方に変わっています。これはつまり、労働者の立場から見た生産性を意識するようになったということなのかもしれません。

会社から見れば「もっと働いてほしい」と思うのは当然かもしれません。でも、労働者からすれば「限られた時間で最大限の価値を出す」ほうが自然ですし、その余剰時間を自分の生活や成長に投資できれば、結果的に長期的な意味でもプラスになります。

かつては「会社の期待に応えること」が最優先でしたが、今は「自分の時間をどう使うか」という発想に重心が移ってきているのかも。わたしはがむしゃらにやってきたけれども、それが、まわりのうまく在宅勤務を使いこなしている人たちの考え方なのかな。そして、これは社会全体が「働き方の多様化」へシフトしていることとも無関係ではないでしょう。


成果が見えにくい仕事のつらさ

ただ、難しさもあります。

私の仕事は「支える役割」が多く、成果が数値で表れにくいのです。取引先とのやり取り、メール処理、資料作成など、確かに日々多くの業務をこなしていますが、それを「売上○円」という形で示すことはできません。だからこそ、以前は「毎日全力で働く」ことでしか、自分の存在意義を納得させられなかった部分がありました。

しかし今は、考え方を少し変えています。成果が見えにくくてもいい。

よくとらえれば、という話ですが、大切なのは「自分にとっての成果をどう定義するか」です。たとえば、上司がスムーズに意思決定できるように支えられた日、混乱を未然に防げた日、無駄な会議を一つ減らせた日。そうした「小さな成果」を自分なりに見つけていくことが、見えにくい仕事を続けるための軸になります。


労働観のシフトは自分を楽にする、けどそれでいいのか。

「がむしゃらに働くことが正義」から、「状況に応じて最適化する柔軟さ」へ。
私の中で起きている変化は、決して怠け心ではなく、むしろ持続可能な働き方を模索する自然な流れだと思います。社会全体が長時間労働から脱却しつつある今、この考え方のシフトは決して私だけのものではないはずです。

これからも「成果が見えにくい仕事」の中で、どう価値を見出し、どう自分なりに成果を定義していくか。答えはまだ模索中ですが、少なくとも以前のように「毎日全力でなければならない」と自分を追い詰めることはなくなっているのかもしれません。

ただ、場合によってはそれはコミットメントの欠如だと判断される可能性もあります。自分で以前に文章を書いていたように…でも、全力コミットしていたとしてもよいことなんてなにもなかったじゃん!というわたしのグレた気持ちにもつながっているか。

いいのか悪いのか?まだわかりませんが、社会が変わっているんだろうな。


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この記事を書いた人

英語、登山、旅行、考えること

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