齊藤幸平という『経済思想家』をご存じでしょうか?
「人新生の資本論」という親書がベストセラーとなった大学教授ですが、お若いのでちょっと”おっ”という感じにはなる人です。
「脱成長」なんてものでベストセラーになるのですからね。どんな人が読んでいるのでしょうね?各国で翻訳もされているらしい。
NHKで齊藤幸平のドキュメンタリーをやっていたので見てみました。
以前は盛り上がりを見せていた環境保護活動も、いざ経済が厳しくなり生活を脅かすまでになると(物価や電気代の高騰)、生活優先で国民は右翼化する。極右政党が各国で得票数を伸ばしているという状況は共通しており、脱成長を掲げるのには少し不利な状況であるようです。齊藤氏は、「人新生の資本論」がベストセラーになったにもかかわらず、それから数年たったにも関わらず何も変化しない今の状況に苛立ちを感じ、打破するためにドイツへ渡る・・・なんていうストーリーです。いらだちを感じっていうのに違和感を感じますがそれは置いておいて。

面白いと思ったのが、ドイツやデンマークで行われている”Edible City”という取り組み。そうそう、これよ!果物の収穫が自由にできる果樹園を登録してアプリで共有できるというもの。日本の地方に行くと、柿木が民家にあり、たわわに実っているのよ・・・こういうの、フードバンクの取り組みでどうにかできないものかしら?って少し考えたことがあるのですが。どう考えても、フードバンクに食料を送るための輸送料金が高い。地方から、東京やほかの大都市にあるNGOの事務所に食料品を送るって。ですが、果樹園の果実をご自由にどうぞ、というものだったら。そちらのほうが効率的に感じます。都市部に住んでいるからそういう果樹園や果物の木などはないですが、少し郊外に行けばたくさんあると思うのですが…この取り組み、最高だと思います。セキュリティ問題は絶対に起こると思いますが。
いったいいつから、生活するのにこんなにお金が必要になったのでしょうね?いつからって、わたしが社会人になった時からは確実に非常にお金がかかっていますが。家さえあれば、何とかなるのでしょうかね。家と食料と、水道光熱費。安く暮らそうと思えば暮らせるのかな。家族を養っているわけではないのに、どうしてお金がこんなにかかる?誰もが言っているように、この消費スタイルを変化させない限り、エンドレスのお金の消費が続いていくという資本主義のシステムですかね。しかし、消費スタイルを変化させる(消費しないようにする)というのは、所属しているコミュニティでちょっと浮いた人になることは間違いないのです。その両立、を求めるならば、消費しないことがファッションであるように変化するとよいとおもいます。しかしですね、消費なくして経済は回りません。そうやって先人たちが言っているように、我々ラットレースに駆り立てられているのかな?価値観になるまでには時間が必要だろうなあ。
一方で、もちろん資本主義の恩恵だって受けまくっている。資本主義が高度になったから、さあもとに戻ろうって言っているのですよ。目の前にある豊かな生活という誘惑からは逃げられない。わたしだって、もっと大きな家に住みたい、快適な生活がしたい、広い台所で料理がしたいっていつもいつも、思っています。それって豊かなことなのでしょうか?そんな問いかけを、いままで多くの人がしてきた通り。私だって、もうそろそろちゃんと考えないといけない。何が豊かなのか?豊かさってなにか?
ドキュメンタリー自体はちょっと期待外れでしたが(齊藤幸平の旅行記みたいな内容。アイドルじゃないんだから…)考えるきっかけになりましたし、考えている人がいることを知れたこと、勇気をもらえました。
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