ドラマ『ひとりで死にたい』が心に刺さった理由 ― 終活は「生き方」の話かもしれない

綾瀬はるかさん主演のドラマ『一人で死にたい』を観ました。
タイトルだけを見ると、少し構えてしまうかもしれません。でも観てみるとこれは、39歳の主人公が「一人で生き、そして死ぬこと」に正面から向き合っていくドラマであり、それがまっすぐに自分自身の今と重なって、終始共感しっぱなしでした。

今まで、ずいぶんと呑気に生きてきた気がします。

もちろん、その時その時は必死だったし、振り返ればやりきったと思える日々もあったけれど。それでも、まあのんきに気づけばこの年齢まで、なんとなく流れに乗ってここまで来たという実感があります。

いやいや、いろいろありましたよ。悩みましたよ。もがきもしましたし、謎に身を粉にして働きもしました。たくさん泣いたし必死だったのですが。なんとか生きてきて少し生活に慣れてきたところ、なんでしょうかね。

だけど、これでよかったんだろうかと思うことも出てきて。
こういうのを、「ミッドライフクライシス」というんだろうかね。
どんなステータスの人間でも、このような気持ちにかられるのであれば、心配する必要はないのだとは思いますが。

「老後が心配だな」とふと思うようになってきたワタシ。
心配しても仕方がないとは思うけれど、もしかしたら長生きしてしまうかもしれない。60歳、70歳になったとき、自分はどんな状態でいるのだろうか。何をしているのだろうか。何より、どこでどう暮らしているのか。

たとえば住まい。
賃貸では高齢になると契約が難しいかもしれない。持ち家があった方がいいのか。都市部の方が病院や施設にアクセスしやすいかもしれない――そんな風に、現実的な問いが頭をよぎります。

健康に「ピンピンコロリ」で旅立てれば理想だけど、そんなに都合よくはいかないよね。だったら、今から何ができるんだろう?

ドラマの中で、主人公もまた終活を考えています。そして、自分の終活の前に、まず親の終活にも直面している。

「一人でいるって、そんなに悪いこと?」

と、綾瀬はるかは言います。

そうなんです、それこそ私が思っていたことだ!と共感しました。自分なりに頑張ってきて、それでも今一人でいて。でも、そんなに責められなきゃいけないことだろうか。「おひとり様」なんて、自虐的に言わなければいけないことなのだろうか。そんなに貶められなきゃいけないの?社会保障のためや持続性のために家族がいなければいけないとか、あるけど。それと自分ってどう結び付けることができるのか?


最近思っていること、それは。
「終活って、死に向けての準備だけじゃない。どう生きるかを考える時間でもあるんじゃないか」と。

一人でよりよく死ぬためには、どう生きるか。
それは、決して孤独ではなく、自分らしく、納得して生きていくということなのかもしれません。

このドラマは、今の私たちが直面している“これから”に向けて、静かに灯りをともしてくれるような作品です。
そしてNHKでは、このドラマと連動して「おひとり様」に関する番組も制作されています。「東京で一人で生きる」というのが、もう個人の問題ではなく、社会全体の課題にもなってきている。そんな切実さも、ひしひしと感じました。

まずは、自分自身の備えからはじめてみようと思います。

更年期のこと、がんのこと。
10年後も健康でいるために、今のうちからできることは何だろう。
ひとつずつ、リストアップして、今の自分を少しずつ整えていきたい。
「一人で死にたい」と言えるような人生のために、どう一人で生きていくか。
そんなことを考えさせてくれたドラマでどんなことを、私たちに投げかけてくれるのか楽しみです!

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この記事を書いた人

英語、登山、旅行、考えること

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