アメリカの大統領は、2期目の最後のほうは、求心力を失うのが常であるらしい。Lame duck presidentというようです。
トランプ大統領は当選しアメリカ大統領に就任したが、中間選挙後は求心力を失うとのこと。
なぜなら、一期目であれば2期連続就任の可能性も踏まえて求心力は持続する。ただ、アメリカ大統領の任期は最大2期なので、2期の最後は、その人に従う人は減少していくものだということ。
もちろん、人格が素晴らしくてとか忠誠心がある人とか業務だからという理由で、支える人はいるでしょう。しかしながら、人間の心理的には、もう終わるであろう人に、仕事としてついていくというひとは、いないというもの。そういうものらしいです。
失われるであろう権力に、全身全霊をかけて尽くしても、自分が今後、使われるかどうかは分からない。報われるかどうかわからない。次の選挙で同じ政党であればいいけど、政権交代可能性もあり、バランスが求められるのかな。
こういうのは、オフィスポリティクスにも当てはまるのかなと、やはり考えてしまう。
任期最後の方で求心力を失うことが常であるならば、なぜ代表取締役の選任について、役員定年間近の役員がなるのか…どうしても、役員は上がりのポジションとして、ご褒美ポジションシステムとされているとしか思えないですね。
親会社が、子会社でガバナンスをきかせることを優先させるのであれば、トップの求心力というのは必要ないのか。機関設計さえしておけば、仕組みをしっかりと整えて、会社システムが回るようにしておけば、よい。
まさしく今、わたしは権力を失いつつある人、これから権力を得ようとしている人々のそばにいて、そんなタイミングにいて、権力に群がる人、権力から離れる人を見ています。
きっと、権力者も権力に群がる人も、お互いさまで利用しあっているのでしょう。御恩と奉公。役員は、部下のはしごを簡単に外すこともできるし、逆もまたしかりで、部下は上司である役員の権力が失墜すれば、手のひらを反すことができる。だから、そこにあーだこーだいう必要はない。
誰についていくか、誰を信じるか、どのように立ち回るか。結果的にラッキーとなる人もいるかもしれないし、それも含めて実力なのかも。
そんなもんだ。
そんなもんなのですが、それでも傍から見ている分にはなかなかに、つらく感じてしまうものがあるのです。今まさに勢いがある人、求心力を失いみじめな思いをしているかもしれない人。そういうのは、オフィスポリティクス!なのですが、やはり人の道を持ちつつ、自分の信念を持ちながらよりよくなる方向に、権力を行使したいものですね。
権力も権限も、行使するためにある。従業員のため、会社のため、よりよい社会を築くため。そのために行使するのだ。
きれいごとだけではないことはわかっているけれども、Who Knows?
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