ズルいのは誰か?――“働かないおじさん”と“高時給派遣社員”から考える、働き方と報酬のリアル

職場にいる「働かないおじさん」を見て、違和感を覚えたことがある人は少なくないだろう。

日々忙しく働いている若手社員にとって、目の前でさほど成果を上げていないように見える中高年層が、より高い報酬を受け取っている現実は、理不尽にも思える。

私もかつて、そうした状況を「不公平だ」と感じていた。

自分たちが頑張っているのに、彼らの分まで仕事を担っているような感覚。だから、「給料を下げるべき」「自分たち若手がもっと報われるべきだ」と考えていた時期もあった。

しかし最近、その考え方にも変化が生じてきた。果たして、「働かないおじさん」は本当に悪者なのか?

彼らの多くは、年功序列と終身雇用のもとで着実にキャリアを重ね、企業に忠誠を尽くしてきた人たちでもある。

現時点で目立った成果を出していないように見えても、かつては会社の成長を支えた一員だったかもしれない。

年功制度の下では、一定の勤続年数を経れば給与が上がる仕組みになっており、それは会社が長期雇用を前提に設計した制度でもある。いわば、彼らはその制度に忠実に従ってきた結果として、現在のポジションにいる。

また、目に見える「成果」だけが仕事ではないという事実もある。社内の暗黙知を継承する、チームの空気を和らげる、若手の暴走を抑えるといった、定量化されにくい貢献も存在する。私たちはそれを“働いていない”と断定してしまいがちだが、本当にそうなのだろうか?

問題は、“人”ではなく、“仕組み”にある。

成果にかかわらず昇給が続き、ポジションが守られる制度が存在する限り、その枠内で合理的に行動することは責められるべきではない。むしろ、そのような仕組みを是正する手立てを持たない企業側の課題と見るべきだろう。

一方、派遣社員についても似たような構造がある。

私のチームには、比較的高い時給で働く派遣社員がいる。

その人の能力が特段高いかと問われれば、正直そうは感じられない。しかし、企業はその時給で契約を結んだ。そこには、本人の過去のキャリアや、タイミング、交渉力など、様々な要素が影響しているだろう。

ここで改めて思う。報酬は「実力」で決まるわけではない。

むしろ、「市場でどう見せたか」「どう売り込めたか」が大きく関係している。高い時給を得られる条件で契約を成立させた時点で、その人は“勝った”と言えるのではないか。

これは、派遣という働き方の構造とも深く関係している。

正社員が年功や社内評価に左右される一方、派遣社員は「その時点の市場価値」に基づいて時給が決まる。

だからこそ、「同じ業務をしていても、時給が倍近く違う」という現象が起きることもある。

企業がその人材をどう評価するかではなく、「契約時にどれだけの条件を引き出せたか」によって、その後の待遇は決まる。まさに、戦いの場は入社前に終わっているとも言える。

そして、こうした事例が職場にあるとき、私たちはどう感じるのか。多くの人は、「自分よりも働いていない」「貢献していない」といった基準で他者を評価し、その人の報酬に疑問を抱く。

だが、そのとき本当に向き合うべきは、「自分がどう評価されたいのか」「どのように市場で価値を持ちたいのか」ではないかと思う。それが難しくって、今もがいているのだが…

感情を抱くことは悪いことではない。

不公平感やモヤモヤを感じるのは、人として当然の反応だ。むしろ、そういった感情を無視せず、きちんと見つめることが、キャリアを考えるきっかけになる。

重要なのは、その感情をどう扱うかである。

他者を責めるのではなく、「どうしてそう感じたのか」「その背景には何があるのか」を冷静に考えることで、自分自身の働き方や今後の立ち位置を見直すことができる。

報酬に納得できないのなら、自分がどんな価値を提供しているのか、どんな風に市場に映っているのかを問い直すべきだ。会社の評価制度に委ねるだけでなく、自分のキャリアをどう「見せるか」「交渉するか」が、これからの時代には問われている。

「どうしてあの人がこんなにもらってるの?」と思ったとき、その人がズルいのではなく、“そのように見せることに成功した”のかもしれない。

そして私たちが考えるべきは、

――「自分は、どう見せていくか?」

ということなのだと思う。

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この記事を書いた人

英語、登山、旅行、考えること

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