アマチュアオーケストラを聞いて

同僚が演奏するということで誘ってもらい、アマチュアのオーケストラを聞きに行った。

曲の初めは、素晴らしいなと思った。

しかしながら、曲が進むにつれて粗が目立つところもあって、そこはアマチュアだからこそなのかもしれない。

今まで、プロのオーケストラしかもちろん聞いたことがなかったのだけれども、プロの演奏ではそのように感じることはない。ということは、プロはやはり、アマチュアに比べて完成度が高いのだと実感した。

多少の身内感も出していて、アマチュアのオーケストラに来るということは身内が多いのかもしれないけれども、その点もプロとは違うと感じた。プロは、身内感をださない。

ちょっと違うかもしれないけれども、一流のものばかり見ていたら良さがわからないということなのかもしれない。

比較することで、初めてわかるものがある。コーヒーも、オーケストラも、きっとそうなのだ。

良いものばかりであると、良いことがわからない。違うものをみて、良さを実感するのだ。

それにしても、聞いていると誰かが音を外したな、とか、なんとなくわかる。

オーケストラって、全体がよかったとしてもその一部分で観客には変な印象を与えてしまい、チームプレーなのかもしれないけれどもこれは、ちょっときついなと思った。自分が良い演奏をしているのに、他人によって台無しにされる。そんなの耐えられないという人はいるんじゃないか。

また、楽器同士の対立もありそうだなあ、なんてことを思った。

★★★

交響曲を聞きながら、私にとってオーケストラは、演奏するのではなく、聞くものなのだと実感する。

バイオリンを弾くというのは、一つの憧れだ。

大学に入って、コントラバスを弾くことを1か月程度、トライしたことがある。初めてでも大丈夫だよ、という言葉に乗せられて練習を始めたが、全くそんなのうそだった。

そのオーケストラは、おそらくほぼ全員、楽器経験者で構成されていて未経験者が入るスキはなかったなあ。

今思えば、そんなこと当たり前だったのに、高校で部活をやらなかったから、大学ではなにかやりたいな。
やるなら、中学校で吹奏楽をやっていたので、オーケストラをやりたいな、という淡い期待を抱いていたのだ。
それは、見事に打ち砕かれて、かなり場違いなところだったのだけれども。
もっとちゃんと考えればよかったのだけれども、若さや大学生活や自分の人生に対する期待感があったので、仕方ない。

かといってそのような中に入っていくには、それまでの人生で楽器に時間を費やしていなければならず、わたしは、そして私の家はそのようなものではなかった。現実が見えていなかったけれども、私の家は少しばかり両親が教育に熱意を持っている程度の、普通の家だった。いまさらそんなことに気が付く。

アマチュアのオーケストラ。プロになるほどではなく、でも楽器が好きで楽器に時間とお金を投入して、きっと子供のころからずっとやっている、という人が多いのだと推測する。そんな人生に、ほんの少しの羨ましさを、今後も感じ続けるのだろうと思う、本日のオーケストラ体験だった。

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この記事を書いた人

英語、登山、旅行、考えること

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