お金を増やしたい、というけれどもそもそもなんのために?お金ってなんなのか、欲しいものはそもそも欲しいものなのか、自分がありたい姿、なりたい自分ってなんなのか。稼ぐ方法とはなんなのか、人と比べることと自分が欲していることを混同するな、とかそういうことが書かれていました。
きっと、違うと言われるのでしょうが、お金を減らしたいと言えるなんていいなあ、って思いませんかねえ。
ちきりん氏も同じことを言っていましたね。お金は増えないように、投資で増えた分は現金にしておくとか、お金を貯めることばかりに意識が入っている人が多く、もっとどのようにお金を使うかを意識した方がいいのではないか、そうするべきだと、ボイシーやブログではっしんしていました。その通り。
さて、それを遮るものは何かというと、不安ということになるのですかねえ。しかし、その不安と今の充実と、どちらを優先させるか。
それにしても、お金はすぐに飛んでしまうよね。新幹線でどこかにいこうものなら、一泊二日の旅行で5万円はするのでは?それはすごいなあ。
森博嗣のこの著書では、繰り返し彼のポリシーである「欲しいものは買え、必要なものはなるべく買うな」ということが語られている。なんとなくわかる気はします。必要に駆られてほしくもないものを、買うのはやめた方が良いということですかね?なんだろうなあ、わたしが欲しいものって、旅行の費用?旅行するための時間?でも、すぐに満足してしまったりね。自分が何をしているときが満足なのか、なにを求めているのか、好奇心を何に対して発揮しているのか、ということ。
まあ、たかだかお金、なんでしょうね。一つの記号であり、交換するものであり、お金に振り回されるなんてと。インベスターzでもそんなセリフがありました。それは、「お金とはなにか?」ということをもっと考えましょう、というMessageにも聞こえます。そして、周囲と同じでいたいから、流行に乗りたいから、まわりのひとがいいというから、という理由でお金に振り回されるのか?と。
人間は、望んだ通りのものになる。望まないものにはならない。だれもが、日常において常に自分の欲望を基本として選択肢、自分が望む道を選んで歩いている。欲しいもの、したいことがあれば、それは必ず実現する。なぜかというと、それを手に入れる方法、それを実現する方法を考え、そのための活動をするからだ。少しでもそちらに近づこうと努力する。その過程で、むりではないか、という不安を持つことも普通であるが、努力を続け、諦めなければ、少なくとも近づき続けるだろう。もし、それが実現しなかったとしたら、それは諦めようという道を選択した時だ。
耳が痛いなあ、と思うのは、「人生の早い段階で、どのような人生を送りたいかということをデザインすることが重要」と書いてあること。若い時の自分は、この文章を読んで納得できただろうか?いまだったら、それはじゅうようなことだよな、人生でできることは限られていて全てを手に入れることはできないのだから、と思います。しかしながら、どういう人生を送りたいのかということは、ちゃんと考えていた方が良い。どうなるかわからないし、身を任せる、啓示を待つということが大事なんだと思っていたけれども、果たしてそうだっただろうか?と思うのです。わたしは、あまりにも人任せな人生を歩んできてしまったな、という自己分析はしているのです。その環境に放り込まれて、その環境でもがいて、適応はすることができるのだけれどもそれでよかったのだっけ?と思うのです。
お金について考えることは、人生を考えること。お金とはすなわち、自分がどのような人生をつくりたいか、ということだから。自分か好きなものを知ること、自分の欲望に素直なこと、好きなものに敏感なこと。好きなものを追っていたら儲かってしまった、ということが非常によくあるようですが、そうなってみたいものです。でも、これだけ情報が溢れていても、残酷な、きっと自分で考えないと、鵜呑みにしてはいけない、ということはあるのでしょう。だから運も大事だとかね、それもありますが。自分が欲しいものを認識しておくことの、重要性というものを感じることこれ多し、という感じの日々です。
お金の減らし方、というタイトルはそれすなわち、「お金の使い方」という意味でした。お金を使えばお金は減りますからね。なににお金を使うのか、自分が何をしたいのかを考えるべきである、ということです。
それにしても、森博嗣の小説は今まで一度も読んだことはないですが、売れっ子の作家のようで。しかしながら、職業としての小説家に徹していて、市場が求めるものを書いているだけだというスタンスのよう。面白いですね。好きだから書く、というのとも違うようです。村上春樹も言っていた職業としての小説家とは。好きなだけでもやっていけないというのはそうなのでしょう。
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