「良しなに、いい感じにやっておいて」という言葉が通じなくなっている気がする

最近、「良しなに」「いい感じにやっておいて」という言葉が、
だんだん通じなくなってきているのではないかと感じます。

「ちょっとこれお願い」「こう言ったら、やっておいてってことだよね」といった“阿吽の呼吸”で仕事が進むことが多かったような。わたしだけ?
そこには、言葉にしなくても察することができる信頼関係や、長年の文脈の共有がありました。
それは、一緒に同じ職場で戦ってきた長年の信頼関係、飲み会などで培ったお互い分かり合っているよね、という安心感から来ているか?

でも、今の職場ではそれが通じない。
特に、派遣社員、業務委託、外部のパートナーなど、多様な形で働く人たちが同じチームにいるようになった今、
「よしなにやっておいて」は、もはや万能の言葉ではありません。「良しなにってなに?初めて聞いた言葉!」って言われたりもした…その人はちょっと特殊な人でしたが。


察して動くということの難しさと尊さ

「言わずともわかる」というのは、実はとても高度な能力なんじゃないか?
相手の意図を読み取り、状況を判断し、最適な行動をとる。
その背後には、組織文化の理解、経験の蓄積、そして何より“人間を観る力”が必要です。

私自身、秘書という仕事をしている中で、「空気を読む」「察して動く」というスキルがどれほど大切かを身に染みて感じてきました。
けれどもそれは、一朝一夕に身につくものなのかな・・
時間をかけてその組織の価値観や人間関係を理解し、ようやくできるようになるんじゃないだろうか。だから、最初は「様子見」をするんですね。何も口出ししないし、とりあえず言われた通りに動く。郷に入れば郷に従え。

だから、組織の中で流動性が高まる今、“察する力”だけに頼る働き方には、限界があるのだと思います。
新しい人が入っても、暗黙の了解がわからなければ混乱が生じる。
属人的なやり方では、チーム全体としての再現性がなくなってしまう。


「良しなに」と言う上司

私の上司はよく「良しなにやっておいて」と言う人です。
MBAも持っていて、とても頭の良い(くふるまいたい)人で、決して悪気があるわけではありません。
むしろ、部下を信頼して任せようとしているのだと思います。

でも同時に、私は時々考えるのは、
それは、的確な指示を避けているということでもあるのではないか、と。
権限を委譲することと、指示を放棄することの間には、紙一重の違いがあるのだと最近感じる。。

自立した人にとっては「任せてもらえている」と感じられるかもしれません。
けれども、まだ不慣れな人にとっては、ただの“放置”に感じることもある。
結果として、「どうすればいいのかわからない」という混乱を生んでしまうのです。


リーダーシップの“使い分け”

このことを考えるたびに思うのは、リーダーシップには“使い分け”が必要だということです。
状況に応じて、指示型・支援型・委任型など、リーダーの関わり方を変えること。
これを「状況対応型リーダーシップ」と言うそうですが、
実際の職場でそれを使い分けられている人は、そう多くありません。たしか、そんな理論があったよね?四つに分けたリーダーシップの使い分けが、なんだっけ・・・

私の上司は、たぶん「最新のビジネスを知っているかっこいいリーダー」でありたい人なのだと思います。
だからこそ、「細かく指示を出す人間」にはなりたくない。マイクロマネジメントしたくないと常々言っているし。
けれども現実には、部下にとってその“余白”がストレスになることもあるのだろうなあ。

思えば、「彼は部長になってもよかったのに」と言われる一方で、私は「いや、部長は無理だろう」と感じることがあります。
仕事量が多く、部下を育てる余裕がない。
それでも「良しなに」という言葉で現場を回そうとしている。
私はそんな彼を、若干のレトロ感を持ってみてしまう私は、いったい何様wwというのはさておき。


言語化が求められる時代

いま、企業が「メンバーシップ型」から「ジョブ型」に移行していく中で、
“言葉でつなぐ力”がこれまで以上に求められていると感じます。

人の出入りが激しい。
業務の一部が外部委託される。
突然、知らない人たちとチームを組む。

そんな環境の中で必要なのは、「言わなくてもわかる関係」ではなく、
「言えばわかり合える関係」なのではないでしょうか。

言語化は、冷たいことではありません。
むしろ、相手への敬意です。だからこそ、最近は「言語化」の本が多く販売されているんじゃないかと思う。
自分の考えを整理し、相手に伝わるように努力することが必要だけど、今、それに慣れていないのだと思う。特に、こんな日本企業でぬるぬるとやっている人間からすると。



人間関係を諦めない

まあ、わたしはこういうのはもともと、嫌いな人間でした。
でも、なんか察してしまうので、空気を読んでしまうのでなんとなくできているということはあるのではないかと思います。
こうした変化の中で、人間関係を「効率化」しすぎるのも違う気がします。
非公式なつながりや、雑談の中から生まれる理解は、確かにある。
飲み会や何気ない会話から、信頼が深まることもある。

だからこそ私は、「言語化」と「人間関係」は対立しないと思っています。
言葉で伝え合うことが、人を遠ざけるのではなく、むしろ近づける。
お互いを理解し合う努力を、正面から言葉で行う。
それが、真っ当に働くということなのかもしれません。


結びに

「良しなにやっておいて」という言葉の裏には、
相手への信頼もあるのだとは思います。

けれども、もうそんなのんびりではいけないのかなあ。
“言葉で仕事を進める文化”を育てていかなければならないのだと思います。

今必要とされている能力は、「どんなバックグラウンドの人間でも、即座に協業できること。そしてそのために言葉にして的確に伝えることができること」なのかなあ。だからね、なんというか、アメリカ化しているということなのかもなあ。ハイコンテクスト文化から、ローコンテクスト文化へ。でもね、それっていいことなのかな?とはさておき、職場ではそうなっていますよ、ということ。

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この記事を書いた人

英語、登山、旅行、考えること

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