生成AIは社内を「監視空間」にするのかな

最近、社内でMicrosoft Copilotが導入されました。
いわずと知れた生成AIツールで、会議の要約やドキュメント作成、情報検索まで一気にこなしてくれる優秀なアシスタントになりえますね。私も便利に使っているし、その恩恵を感じる場面は多いです。

(お偉いさんとの会話なんて、自分が生成AIになりたい、とさえ思いますね。感情も持たずに返信したい、そんなこともあります。。。)

そのように仕事で利用している生成AIだけれども、ふとした瞬間に違和感を覚えることがある。

たとえば、誰かとの何気ないチャット。
「現社長の後任はだれだろうね?」という雑談チャットに変身できませんでした。
それは、立場上ということもあるけれども、「この発言、記録に残ってるかも」という感覚が頭をよぎったのかもしれない。
ああ、私たちは“何か”を失いつつあるのかもしれない──そんな考えが頭をよぎるのだ。

目次

チャットの“気軽さ”が消えていく

かつてチャットは、もっと気楽なコミュニケーションの場だったように思います。冗談を言ったり、ちょっとした愚痴をこぼしたり。雑談から偶然生まれるアイデアや、気の置けないやりとりのなかに、信頼関係が育まれていたのかもしれないですし、メールよりも仰々しくない、非公式なコミュニケーション。

でも今はどうでしょうか?

「このチャット、あとで切り取られるかも」
「スクショが誰かに回されたらどうしよう」
「記録に残るなら、もう少し無難な言い回しにしておこう」

そんな風に、自分の発言を慎重に選ぶようになっている気がします。
Copilotが自動で要約し、記録し、検索可能な形で残してくれることで、私たちは言葉を“残るもの”として扱わざるを得なくなっています。

これは便利であると同時に、「気軽な言葉」を許さない空気を生んでいるとも感じます。

生成AIが生み出す“記録社会”

Copilotのような生成AIが社内に根づくと、会議の発言もチャットのやり取りも、どんどん可視化され、分析されるようになる。これは一見すると、透明性が高まり、公平な評価や効率的な業務遂行に貢献するように見える。

でも一方で、それは「いつ」「誰が」「誰と」「何を」話していたかというすべてのメタデータが蓄積されていくことを意味する。
これらが意図せず人事評価や人間関係の可視化に使われたらどうなるだろう?

・誰と誰がチャットしているか
・誰とよく会食しているか
・誰と誰が定例会議を多く組んでいるか

そんな“データ”から、組織内の力学や派閥、昇進候補といった「見えない構造」まで炙り出すことも、技術的には可能だ。そしてそれが、現実の評価や噂話の根拠として使われてしまえば──。

私たちはもう、「言葉」を安心して交わせなくなる。

疑心暗鬼は、信頼を壊す

CopilotやAIツールそのものが悪いのではない。問題は、それをどう使うかだ。
記録は、信頼を補完するための手段であって、信頼そのものの代替ではないはずだ。

だが、記録されることが前提となれば、誰もが“見られている”ことを意識し、自由な発言を抑えるようになる。批判的な意見は出にくくなり、無駄話も減る。
疑心暗鬼が静かに広がっていく。

それは、信頼や創造性、ちょっとした「余白」や「雑談」といった人間らしいコミュニケーションを、少しずつ奪っていくのではないだろうか。

すべてが記録される時代に、私たちはどう話すのか?

歴史とは記録すること。
中国の歴史がよぎります。
あの時代の英雄たちの発言は、のちの時代にすべて“正史”として記録された。
いまの私たちの発言も、AIによって“正史”のように保存されていく。

だとすれば、もう私たちは軽はずみに言葉を放つことができなくなる。
何気ないつぶやきすら、永遠に残る“証拠”になってしまうかもしれないのだから。


終わりに:Copilotのある時代に、信頼をつくりなおす

AIは、便利で強力なツールだ。
Copilotがいることで、私たちはたしかに生産性を上げ、正確な情報にアクセスしやすくなった。

けれど、それと同時に見失ってはいけないものがある。
**「人と人が、信頼して言葉を交わせる空気」**だ。

すべてが記録される社会であっても、あえて記録されない時間をつくること。
デジタルの中に、あえてアナログな“余白”を残すこと。
そして、社員が安心して語り合える場を、ルールではなく文化として育てること。

Copilotがもたらすのは、「監視」ではなく「補助」であるべきだ。
そのためには、ツールをどう使うかという視点以上に、組織としてどうありたいかという問いが必要なのだと思う。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

英語、登山、旅行、考えること

コメント

コメントする

目次