ほぼ毎晩、ちきりん氏のVoicyを聞いている私です。寝るときに耳無沙汰!?だから何か寝るのに邪魔にならない声で…と、ちきりん氏が数年来の「寝るときのおとも」みたくなっています。
この配信が大きな反響とのことで、わたしだって反応したい、ので反応することにします。
沖縄戦というのは、本土のそれとは意味合いが違うよね、というお話。
そうなんだよね、うすうす気が付いていたのだけど…
沖縄ってそうなのよね。
よく、沖縄出身の芸能人が多いとか、沖縄時間とか、旅行先とか、そういうイメージの沖縄。
だけどそうじゃない。
本土のために犠牲にされてきていた沖縄。
地政学的に、非常に複雑な歴史を持つ。
だから、同じ意味合いで東北とかもそうなんじゃないのとか、思うわけ。
『白河以北一山百文』なんていう言葉があるようで、これはNHKの番組で知りました。
もともとは、明治維新以降、賊軍扱いされた東北に対して、政府が蔑視したことに由来があるようだけれども、「影法師」というバンドが原発に対する反発の意味も込めて、歌詞にして歌っている。
日本は、政府は、都合の良いようにふるまう。
最近は、自分に戦争の罪はないとか、自分の世代が戦争をやったのではないのだから、という。
でも、わたしはその考え方は少し違うんじゃないかとも思えてきてるのです。
戦争をした人々は確実に私たちの祖先だし、乱暴をしたり虐殺した人の子孫は今同じ時期に生きている。
だから、全然別の人じゃないんだよね。
自分は戦争をしていないから戦争の責任はない、なんて言うことはできないよなあ。
だって、私たちはそういう人たちに育てられて、その人たちの親もまた、上の世代の影響を受けているのだから。
個人としての残虐性や乱暴性は、環境がそうなれば、いつでも牙をむいて自分たちの外に現れて、人を殺したりするのでは?どうしても、受け継がれていくものなのかも。でも、どこかで止めなければいけないものなのかも。
戦争のとき、個人としては乱暴をしなければならない、残虐であることがその時は合理的な選択となるのかもしれない。「ムリ!やーめた!」って、その状況で言えないでしょう。だから、そうさせないために、平和であるためのシステムを作っているということなのかしら。自分はそうなる可能性もある、個人としての生存戦略を考えると乱暴にならざるを得ないこともある。でも、そうさせないための仕組み、ということ。。。?
などなど、考えるのでした。
『日本』って、まるって考えるけれども、一つじゃないよなあ。
沖縄だって、中華圏でいたときの歴史のほうが長いのかな?
中華になったり、アメリカになったり、日本になったり。
親会社が、とか、トップが、常に変わる、みたいなイメージ?
とにもかくにも、自分たちの生活を乱さないでほしい、というところかな…?
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